三味線って、こんな楽器



  その誕生

16世紀の中頃、中国の三弦(琉球の三線説を称える人もあります)をもとに、琵琶法師の手により誕生しました。
その後歌舞伎の音楽に取り入れられ、また庶民の娯楽音楽としても大発展、江戸時代沢山の流派を誕生させました。
日本の風土、自然環境に恵まれた歴史の中で、日本民族が育まれた特有の繊細な感覚、情緒ある感性から、棹の太さや駒の大きさ、そして材質等を替えることにより音色が変わることに気付き、大きさなど外見では区別しにくいのですが、音色の違う三味線が多種誕生しました。棹の太さで大別して太棹、中棹、細棹の3種。さらに細分化して20種以上もの流派を誕生させております。

[三味線の木] 三味線音楽の分派過程が、ひと目で分かるようになっております。
[日本音楽の流れ] 古代より現代までを、川の流れの絵にして表しております。
《両資料はレクチャー、ワークショップ等の講義資料として使用すると大変便利 です、どうぞ私の許可を得ずにお役立て下さって結構です》


  その特長

1、「宇宙から日本人に贈られた神秘な楽器」

どのような楽器ですか?と問われたとき私は、自分自身がとても不思議な楽器に思えてならないので、このように答えております。
絃楽器の構造でありますが、撥を用いる奏法(小唄等爪弾きの流派を除く)により打楽器的効果が加わり、音色の変化幅が広がって、他の楽器に類を見ない表現力を発揮することの出来る楽器になりました。
そのため森羅万象、天変地異、心の情感等を繊細に他の種楽器との合奏なしで、単独で幅広く独特な表現することが出来ます。
多種の楽器編成で演奏するヨーロッパ音楽を絵画に喩えて油絵的だとすると、三味線音楽は水墨画的と言えるでしょう。
弾けば弾くほどその不思議な魔力に心惹かれます。
何回か聴けばその不思議さは解かって来ますが、神秘さは弾いて見ないと実感出来ません。
言葉では表すことの出来ない、何とも魅力溢れる楽器です。

2、「一音成仏」禅の境地です。

一つの音に全てが在るを旨として表現します。つまり音階を使わず単独の音で情緒を表す技を楽器自体が持っているのです。

3、日本人の民族性がサワリを感じる感性を持ったことで誕生した。

棹の上部に「サワリ山」([サワリ山の図はこちら] )と称する突起があり、絃が振動しこの突起に微妙に触れることにより醸し出される残響音を「サワリのついた音」と呼んでおります。
「サワリのついた音」こそが三味線と云う楽器の命です。この音を十分に響かせて演奏出来なければ、三味線の演奏者とは言えないものなのです。
このようなサワリと云う命をもった三味線は、日本人が自然界の現象を言語脳と云われる左脳で捉えるという特異な民族性を持ったことで発明することが出来ました。(因みに西欧人は自然界の音を芸術脳と言われる右脳で捉える)
この「サワリ」のついた音楽は文楽、歌舞伎等を誕生させる核となり、それぞれが影響し合って発展、江戸期の芸能を大成させました。
芸能の情緒は江戸時代の絵画や工芸品、その他文学等の文化全般に反映、現代に引き継がれておりますので、「日本の文化の根源はサワリにあり」と言えるのではないでしょうか。


  その音楽

三味線は誕生間もなく、それまでは琵琶の伴奏により語られていた「浄瑠璃姫物語」を、三味線の伴奏で演奏してみたところ、とても具合が良かったので、三味線の伴奏による語り物音楽が作られるようになりました(語り物のことを浄瑠璃と称するのはここから来ています)。
それから間もなく当時誕生したばかりの歌舞伎と結びつき、それぞれが発展完成されてきました。(ですからもし三味線が誕生していなかったら、歌舞伎は現在とは全然別の形の芸能になっていたことでしょう)。
のち江戸時代には、尺八、あるいは手拍子ぐらいで唄われていた民謡などにも三味線が用いられるようになり、また庶民の娯楽音楽として三味線を伴奏とする歌曲、いわゆる俗曲、端唄等が作られようになり、多くの流派が誕生、隆盛の道をたどりました。
このような経緯で発展してきた音楽ですから、器楽曲は少なく、殆んどが声楽曲であります。




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